私とプラスチックの歴史は長い.50年になろうとしている。
ここでいう歴史とは私がプラスチックを生業としている会社に勤め始めたころからのことである。
私がプラスチックに係わった翌年、オリンピックが開催された.
(第18回オリンピック競技大会 1964年10月10日(土)〜24日(土) 15日間)。(1964年の東京オリンピックを契機に電電公社の国内中継路線のカラー規格化がなされ、撮影方法・受像機共に画質の改善も行われたりした結果、受像機の生産台数もこの時期に急激に伸び始めた.wiki)/
なにしろ、白黒テレビしかない時代にカラーの画像が見られる。とても興奮して見ていました。
画像を映すのはブラウン管でした.ブラウン管には端子があり、ここに電気を送る.電気が通る回路を作るためには、絶縁物が必要です。
当時の絶縁物はベークライト位しかありませんでした。日立製作所はスタンドライト、松下電器はナショナルライト、東芝はデコライト、住友はベークライトとして上市していました。さりげなくベーライトと書きました。
きざみたばこを吸うためのキセル
お若い方は見たことがないと思いますがキセルと呼ばれる煙草を吸うための道具です。筆者より30才位年上の人が良く使っていました.終戦直後にはこのキセルも手に入らず、ベークライトのパイプで代用してたと年配の方から聞いていました。
戦時中の日本においては金属は武器を生産する為の最重要な材料であった。民生用には厳しく制限されていました。下記のスプーンはベークライト製。
ポリプロピレンを使用するのが好ましいのですが、当時の日本にはポリプロピレンは少なくとも存在しなかったのではないか。
1954年にジュリオ・ナッタとカール・レーン[3]は、TiCl3(三塩化チタン)とAlR2Cl(ジアルキル塩化アルミニウム)の混合物が、高活性なアイソタクチックポリプロピレンを与えることを発見した。(wikipedia)
金属は貴重品、軍用品、ポリプロピレンは存在していなかった当時、ベークライトを使用したのですね。この写真のスプーンは白色なのだと思えます。すこし調べてみましょう。
1907年にベークライトが発明されています。日本は1941年12月8日、アメリカの真珠湾を攻撃、太平洋戦争がはじまりました。この頃の電気絶縁材料はベークライト位しかなかった。
1907年にフェノールとホルムアルデヒドの反応時の圧力と温度を制御することで、完全な人工合成樹脂「ベークライト」[2]の合成に成功し、その特許を取得した。